これは、唐の杜甫の五言律詩「春望」の最初の一句である。
杜甫が仕官という年来の希望が叶って、右衞卒府冑曹参軍なる官職を与えられたのが四十三歳の時であった。どうにか希望がかない、これから安定した生活が出来ると思った矢先に、突如、安禄山が反乱を起こした。
安禄山は北東方の節度使として十八万を越える兵力を握り、今の北京に近い范陽にいたのだったが、玄宗皇帝の左右にはべる不忠の臣を討つと称して兵を挙げた。七五五年の十一月のことである。破竹の勢いをもって南下した彼は、正月に東都の洛陽を陥れて大燕皇帝と称した。その年の五月、長安の都も危機に見舞われ、玄宗皇帝を始め長安に住まう官吏や貴族たちは都落ちのやむなきに至ったのである。
杜甫もまた妻子の居た長安の東北方の片田舎へ命からがら脱走したのであった。その田舎も安全とは観られなかったので、更に辺鄙な羌村という田舎へ妻子を疎開させた杜甫は、当時玄宗の太子で西方の霊武という片田舎で即位した粛宗の朝廷へ参内すべく出発したのだったが、しかし忽ち賊兵の手に捕まり、囚人として長安に送られてしまった。
彼はこうして囚われの身となったが、幸いなことに彼の官位はあまり高くはなく、また白髪頭の弱々しい老人であったから、生命を許されたばかりでなく、監視も比較的緩かった。杜甫は兵禍にみまわれ、見る影もなく荒らされた都の姿を身をもって体験することが出来たのだった。
安禄山は元来胡人である。従って彼は胡人から組織された軍隊を養っていた。猛々しい胡兵が我が物顔に馬を乗り回し、婦女子は怯えおののき、乞食に身を落として街に顰みうろつく王孫公子達もあった。
杜甫自身もまた人目を憚るように長安の街を歩き、悲しい風物を観、そしてその悲哀を多くの詩に歌ったのである。
「春望」もまたその一つである。
国破れて山河在り―――
それは都の建物が破壊されたとか、唐室が安禄山に負けたというだけでなく、国が壊された、秩序も破棄され、機構も破られ、人民のよりどころは全くなくなってしまった、という悲しみをさしているようである。
安禄山の乱はその後、史思明親子の乱となって後を引き、完全に片が付くのには九年間かかった。しかも当時にあっては世界随一の大国家であったろう唐朝は、この乱によって極盛期の秩序と威力とを回復する実力を失い、武人は割拠し、ずるずると沈滞していったのだった?つまり唐朝の基盤はこのとき破れたといってよい。
国は破れたのである。
春 望
五言律詩。長安の賊中にあって、春の眺めを述べる。
国破山河在 国破れて山河在り
城春草木深 城春にして草木深し
感時花濺涙 時に感じては花にも涙を濺ぎ
恨別鳥驚心 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
烽火連三月 烽火 三月に連なり
家書抵万金 家書 万金に抵る
白頭掻更短 白頭 掻けば更に短く
渾欲不勝簪 渾て簪に勝えざらんと欲す
都は滅茶苦茶になってしまったが山や河は昔のままであり、長安には春が訪れて草や木が深々と生い茂っている。
世の中の有様に心を動かされて花を観ても涙をはらはらと零し、家族との別れを惜しんでは鳥の声を聞いても心を傷まさせている。
打ち続く狼煙火は三月になってもまだ已もうとせず、家族からの便りは万金にも相当するほどに思われる。
白髪頭は掻きむしるほどに抜けまさり、まったくもって簪を受け留めるのにも耐え兼ねそうだ。